オンライン学習塾 東大講堂 塾長の李です。
塾長ブログのこの初記事では、塾長の受験時代の話をご紹介いたします。
■12歳で来日 最初はあいうえおも書けず
名前からもお察しの通り、私は中国で生まれ、2003年6月、家族とともに日本に来ました。
中学1年生の一学期が始まってちょうど2ヶ月が過ぎた頃、名古屋市西区にある市立名塚中学校に転入しました。
来日は急遽決まったので、日本に来た最初の頃は、まだあいうえおも書けず、国語の授業では、先生から50音表をもらって、それをひたすら書き写していました。
もちろん自宅でも、先に日本に来ていた父親が使っていた日本語の教科書を使い、母と一緒に日本語を一生懸命勉強していました。
■最初の国語の試験は9点
その1年後に国語学年1位、中3夏に総合成績1位
7月に最初の学年テストがあって、国語が9点だったのは、今でもはっきり覚えています。この貴重な9点は、漢字の画数を数える、という問題のお陰で獲得できたものです。
夏休みに入ると、ひたすら日本語を勉強し、休み明けの中間試験では、確か国語が60点ほどだったと記憶しています。
中学2年生の頃には、国語の試験は96点と学年1位。これは、当時ちょうど学校では文法をやっていたので、日本人にとっては小難しい日本語の文法ですが、外国語として日本語を勉強した私にとっては、非常に系統的に理解できていたので、とても簡単でした。
中学2年の秋頃には、学年200人中3位、中学3年の夏頃についに学年1位に。
■出身中学で10年ぶりの東海高校合格者
高校受験では、中1から目標としていた私立東海高校に無事合格し、出身中学で当時10年ぶりの合格者となりました。
なお、愛知県以外の方向けに説明しますと、東海高校とは、大雑把にいうと、開成高校の中部地方版のような存在です。
合格通知の日、早めに帰宅した父はポストの中に東海高校から届いた分厚い封筒を見つけ、これはきっと合格通知書だと思い、自分で開けず、しかし待てないと言うので、荷物を自宅に置く間も惜しんで、そのまま直接封筒を学校まで持ってきて、早く開けて早く!と。
父の予想通り合格通知でした。厚みは入学の案内資料。親、担任先生、教頭は大興奮。
実は、当時愛知県で公立No.1の旭丘高校の推薦をもらっていたが、次の日に辞退して、担当の先生は大激怒(笑+汗)本当にすみませんでした。
■平凡な高校時代を経て、東大へ
高校時代は、周りが優秀な人ばかりで、成績は普通でしたが、英語だけは帰国子女を除けば、ほぼ毎回学年トップ。
高3は河合塾で1教科だけ授業を取って、しかし授業には行かず、ひたすら自習室に浸っていました。特に夏休みは毎日午前から21時閉まるまで、トイレと昼ごはん以外は一切休憩を挟まず一日中勉強していたのが今でも思い出深いです。
現役時代はアウトプットが間に合わず、1年間の宅浪を経て、2010年3月に東京大学文化二類合格。他にも早稲田大学政治経済学部、法学部、商学部、慶応大学商学部などにも合格。
■塾講師との出会い~東大講堂の創設
大学時代は、生活費を稼ぐために始めた塾講師の仕事ですが、いつの間にか週六で働くほどに没頭するように。10歳から18歳と様々な生徒さんと触れ合う中で、教えることの楽しさと他人の人生に良い影響をもたらすことにやりがいを感じていました。
自分が中高時代に積重ねてきたノウハウや経験をより多くの人に伝えるために、この学習塾東大講堂を創設することに至りました。
誰にでも無限の可能性があります。「自分はバカだからできない」、「あの人は頭いいからできる」、そんな考え方は今すぐ捨ててください。
正しい方法に従えば、どんな高い目標も必ず達成できます。
それが私の信念であり、東大講堂の指導理念です。
END